相手の気持ちを察しづらいということ
ASDの特徴として常にあげられることの一つが「コミュニケーションの困難さ」「社会性の障害」というものです。
リタリコのホームページを見ると
「自閉症スペクトラム障害に統合された自閉症やアスペルガー症候群は『DSM-5』以前は、「広汎性発達障害」という診断カテゴリーの中に属していました。広汎性発達障害には「3つ組の障害」と呼ばれる「社会性の障害」、「コミュニケーションの障害」、「限定的な行動・興味・反復行動」の3つの領域が存在していました。
しかし、『DSM-5』によって広汎性発達障害という診断カテゴリーは廃止され「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害」では「3つ組の障害」のうち、「社会性の障害」と「コミュニケーションの障害」は1つにまとめられます。
その結果、「自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害」では、診断基準は「社会的コミュニケーション」と「限定的な行動・興味・反復行動」の2領域に統合・再編されました。」とあります。社会性とコミュニケーションを一つにまとめるか否かの差のみで、この二つが核としてあるようです。
しかし実際にケンを始め、周囲にいる軽度のASDと診断されたお子さんの多くはコミュニケーションそのものは取れているように見えます。それでも、それぞれ医師に「自閉症スペクトラムで間違いないでしょう」と診断されているのです。この辺は人によるってことなのかな?と何となく考えていましたが…
「切り替えが下手、できないことにはチャレンジしない、自作の造語でしゃべる、人の注意に従わない、これらのことの理由にも『他人の気持ちを察しづらい』と言う特性がある」という一文がありました。
確かに、日曜日のようにお友達が体調を崩した、だから今日はもうこれでバイバイ、と言う状況になっても、相手の気持ちを察することができず、自分の「遊びたかったのに」と言う気持ちを優先してしまう。相手がケンのことを考えて「こうしたらいいよ」と言っても、それがわからず、やりたいことを邪魔された、と怒ってしまう。自作の造語を相手も理解できると思ってしまう。何かを注意するたびに「ママはケンの味方じゃないの?」と激昂され、愛情不足なのか何なのかと心配していたけど、この根底にもこの問題があるのかと思えてきました。
確かにコミュニケーションはとれるけど、社会性に困難さがある、なるほどそうだなぁ、と納得。昨日、「パパもママもケンが楽しいかなって思って色々頑張ってるんだよ!どうしていつもいつもそうやって不機嫌になるの?最後まで『今日は楽しかったね』って言えないの?何やってもそうやって嫌な気持ちになることばっかりするんだったらもうケンとどこにも行かないよ」と言ってしまったけど、親の気持ちをまず伝える、というところからスタートしないといけないな、と反省。